まぁ日記です 楽しいこと書いたり、馬鹿なことを書いたり、鬱な事を書いたり。 そんな感じで色々と。
黒月回顧録
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思考
2006-01-26-Thu  CATEGORY: 雑感
今日はちょっと抽象的な記事。
一部『ヤバい』記述がありますけど、まぁ本文を呼んで頂ける方は、誤解の無いよう、物の例えだという事で宜しくお願いします。


たまに非人間的なこと考えたりしたときに思うこと。
持論のヤバさを一番分かるのは自分だ、と。
逆にあんまり綺麗事ばかり考えようとする人間は、そういったヤバさ――主観や倫理を抜きにした非人間性を持ってるという事の意味を理解してない事が多い気がします。
要するに、『思考としてこういう考え方は持ってるけれど、自分自身がそれに準じて実際に行動するか(或いは感じる物があるか)どうかは別の話』ってことです。
核兵器を開発した人間は、たとえ権限を与えられたとしても自分でスイッチを押そうとしないもんなのです。
(cf:じゃあ自作物を使う爆弾魔みたいなのはどうなんだ、と。
でもその場合、彼等彼女らの持つ非人間的思考が、『論』としての妥当性を持っているかは疑わしい面があるので、そもそも『思考』として成立してない可能性がある。
それは思考でなくて本人自身がやばいと言えるわけです)

今此処で僕が殺生について思考を巡らせたとき、
『人間が生きる為、幸せになるため他の人間を殺す事は<当事者間に於いては>罪でない。我々は同じように牛・豚・魚その他多くを殺している。更に、戦争(ここでは宗教・革命及び利害関係における武力衝突を指す)状態における二国間において、これら殺人行為は限定条件付きながらも容認されている。』
何てコトを結論として持ってきたとしても(物のたとえですよ。非人間的だとか、或いは論として短絡的だなんてつっこみ止めて下さいね)、僕自身の『主観』として戦争を容認できるかっていうと、そんなことは無くって、実際にその状況に置かれたら、
「や、自分の都合で他人を殺すのは<良くない>。その人の人生や、大切な物を奪ってしまう<権利なんてどこにもない(はずだ)>し、僕自身の命を奪う<権利も誰にもない(はずだ)>。
それに戦争も<やだなー>、人が死ぬし、その中には<自分も大切な人も入ってるかも>知れないし、<哀しいだけ>だし……」って思ったりするのです。
時折矛盾する僕の発言と言動っていうのは、こんな所からくるわけです。
論だけでなんでも説明できる訳じゃないですからね。主観と客観の天秤が即ち倫理だと思うですよ。


やれやれ、自分も人のことを悪くは言えない。
頭でっかちも大概にしないといけませんね。
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